★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★
★ 言葉あそび575交心v13y021202
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躍動のなきも好きかな野の菫
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命の躍動が音楽であり、歌であるのでしょうけれど、凡愚老仁は病弱な幼児期を過ごしましたので、子どもの時に子どもらしさのあの命の躍動を実感したことがありませんでした。十人兄妹の中の三男ですけれど、生き残ったのは凡愚老仁だけで、あとはみんな子どものうちに亡くなっています。周りの者は誰もが凡愚老仁も死ぬものだと思っていたそうです。そんな雰囲気の中で凡愚老仁も子どものうちに死ぬんだと信じていたようです。
小学低学年の時二度溺れています。一度目は溺死状態で見つかって、ぶんぶん振り回されて蘇生したそうです。心地好い臨死体験をしました。
躍動のなきも好きかな野の菫 仁
肌に触れたる風心地好し
生き延びて古稀を迎えようとしていますけれど、言葉あそびの異時空遊泳の恍惚の遊泳感覚はあの臨死体験への回帰願望なのかもしれません・・・
老衰による死は溺れている時の臨死体験に似ていると聞いたことがあります。断食による自然死も同じような恍惚状態なのかもしれません。西行さんはそれを知っていたから如月の望月の頃に虚空に戻れるように断食したのだと聞きました。一休さんも良寛さんも愛する人の命に抱かれて、自然法爾、夢見心地の中を大地に戻って行かれたのでしょうね・・・
だからという因果はないのかもしれませんが、凡愚老仁は音楽とは無縁に暮らしてきました。メジャーな世界は、子どもの世界でも、音楽が一つのステータスでしたけれど、凡愚老仁はマイナーな黄昏を道草してひとり遊びに耽っていました。ひとり吾のみ愚者のごとし・・・今もその延長ですけれど・・・
歌えぬも音なき音聴く春の雨 仁
見えぬ命のたゆたい遊ぶ
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漢字物語0101『 「歌」 節をつけて願いの実現迫る 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
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言葉あそび575交心v13y021001『 字よ踊れ凍る心も躍るよう 』 への交心です。 ★★★
★ 言葉あそび575交心v13y021201
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歌え歌え囀る鳥の声に添い
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おはようございます、遊呼さん。
いつも交心ありがとうございます。交心から生まれる言葉あそびを楽しませてもらえます。こころ踊らせてもらってありがとうです。
「楽」も鈴を振って踊る姿の象形でした。
音楽は命の躍動なのでしょうね。命とシンクロしているので、あらゆる生き物と交心できる波動なのでしょう。
「歌」も命の躍動とシンクロする音楽なのだろうと感じます。そのはじまりは祝詞にあるのですからね。神々を喜ばせる音と踊りを添えて、賑やかに、笑いに溢れて、神々を迎えました。拗ねた天照さんも機嫌をよくする力を持っている命の根源的な活力がシンクロして、笑いは、また、命の歌の大元のリズムだろうという気もします。
笑は漢字のはじまりには「咲」に作られていたそうです。
音符は「△しょう(八と下に天)」で、これは人が両手をあげて笑い興じている姿です。
古代文字の篆文を見たら、人が笑っている顔にさえ見えます。
古代人は、心の動きそのままを見た通りに素直に象形できたのですね。心の動きそのままが絵になり、その絵が線で単純化されて刻み込みやすいようになり、甲骨文字になっていったのでしょうか・・・
「若」も巫女が恍惚となって両手をあげて踊る姿を象形したものでした。
甲骨文字は心の動きを本質的な深さで表現した芸術品のように見えてきます。
「歌」も命の躍動、心の動きをそのままに写し撮った音楽なのでしょう。
歌え歌え囀る鳥の声に添い 仁
飛べよ飛べ飛べ自遊の虚空を
★。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★。・。・゜♪゜・。・。★
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