★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★
★★★
つけ句あそび575交心w12m112102『 任天真風なき日にも散る銀杏 』 への交心です。 ★★★
言葉あそび575交心w12m112401
――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
愛別も常の習いぞ散る紅葉
――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
雲人さん、いつもつけ句と交心をありがとうございます。
そうなんですね、白川静さんは福井県出身の人だったんですね。
そうですか。白川漢字学が小中学校にまで普及しているのですか。
素晴らしい実践ですね。
言葉は生きる力ですから、子どもたちが豊かに言葉を生きることができれば、夢観る力も創造力も大きく飛躍するでしょうね。
子どもたちの未来が楽しみになります。
雲人さんの遊行道は子どもたちに向き合う人たちへの道標です。
現実の壁を切り拓く光です。
「 自未得度先度他 」の実践に敬服します。
凡愚老仁の言葉遊びの児戯が恥ずかしくなります・・・
それでも凡愚老仁の唯一の楽しみですから、言葉あそびさせてくださいね。
ご寛容ありがとうございます。
> かくして無常をしろしめるかな 雲人
愛別も常の習いぞ散る紅葉 仁
虚なる心に言の葉翔る
愛別離苦も八苦の一つです。無常なればこの愛別も移り変わって、また新しくなるのでしょう。「愛」は「立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を愛といい、<いつくしむ>の意味となる。」愛執は執着という欲でしょうか、仏教はそんな愛を苦の大本にしています。
「いつくしむ=愛しむ」は愛して拘らぬ心と考えてもいいのでしょうか・・・
無常を知れば、ただ愛して、拘らぬ心になれそうな気がしますけれどね・・・
> 保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽而新成。 。。。『老子』第十五章
仁訳 このTAOの流れに載って生きている人は必要以上に満たされることを欲しないものさ。ただただ欲を満たすことを望まず、あるがまんまを大切にするんだよ。極端なことも限定することも好まないから、古い所にも、貧しい所にも居ることができるし、もっと新しい所へ行くことも、もっと心豊かに活き活き生きることもできるのさ。
生まれる時は一人だった。死ぬ時も一人です。虚無から生まれ、世界の中に生き、虚無に死ぬ。それが常です。
> 根に帰るを静という。是れを復命と謂う。復命を常という。 。。。『老子』第16章
存在するものは一時も静止していない。移り変わること、生々流転を、無常というのでしょうね。これはまた命の実存でもあるんです。老子さんは命に復ることを「常」といいました。命に於いては「常」も「無常」も同じことなんですね。
言葉あそびをしていると「分別」がなくなってしまいます。
「夢中説夢」という言葉が道元さんにあるそうですけれど、現実も、夢の中で夢の話をすることと同じなんだよ、といっているそうです。その深層の意味は凡愚老仁には分かりませんけれど、言葉あそびは夢の中で夢を見ているようなものだから、ただただ楽しいばかりです。夢の中で死ぬように、楽しみながら死んでいけるとHappyですね・・・
草枯れて虫鳴き吾は夢を見る 仁
命に復り今ここ歓喜
懲りない言葉あそびさせてもらいました。
ご寛容ありがとうございます。
★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★
PR