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言葉あそび575交心w12k120401『 季は巡り葉は枯れ鳥は渡りけり 』


★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★









 
季は巡り葉は枯れ鳥は渡りけり   仁


 老は今ここ遊ぶに若かず




 とはいえ、老いてはその遊びも不自由になり、行動範囲も限られてきます。
 けれど有り余るものもあるんです。閑と妄想です。
 妄想惚けは至福の楽園なのかもしれませんけれど、遊ぶ「わたし」もいなくなるのでしょうから、できればわたしが「私」を見ることもでき、楽しむこともできる主人公のままで妄想惚けも遊べるようになりたいし、閑も遊べるようになりたいものと念じています。

 良寛さん真似遊びや真似一休さん遊びを楽しんできましたけれど、その言葉あそびは、いつでも、どこでも、無一物でも、できるんです。遊び心さえあればいいんです。
 よ~らちっご凡愚老仁には妙適の遊びです。


 とはいっても、子どもが砂遊びをするように、作っては壊し、作っては消える、虚空の花火のようなものですから、どんなに熱中しても、ただ、熱中するだけの自足です。
 シンプルな反復です。
 春は去り、巡りてまた、春になる。
 歳歳年年春同じからず。
 反復のわたしの今ここも年年歳歳同じからずで、しみじみ楽しいんです。
 子どもの砂遊びが子どもの物語世界の創造であるように、凡愚老仁の言葉遊びも凡愚老仁の物語世界の創造なんです。
 子どもの創りだす物語世界は子どものカミの世界でしょうか・・・子どもが創りだす砂山は子どものカミの世界のオリンポスの山なのでしょう。

 子どもは砂山遊びに熱中して、自らのカミを遊んでいるのでしょうね。
 子どもは砂山遊びに熱中して、本来の面目坊を生きているのでしょうね・・・


 凡愚老仁は、言葉あそびに熱中して、凡愚老仁の本来の面目坊を生きている真似をしたいと念じているのですけれどね・・・


 鳥獣もカミ遊びする百舌の贄   仁


 鳥も獣もまたカミならめ





■■■★ 言葉あそび575交心w12m110301

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――

脱落の地に芽を開く草の花

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――






 こんばんは、葉呼さん、いつも交心ありがとうございます。
 いいお天気がつづいていますね。
 でも風が強くて、佐賀のバルーンフェスタは昨日も中止したようです。天気がいい分冷え込みも強くなりますね。九州でも晩は冷え込みます。今年は紅葉もいいような予報です。

 いつも鄙の老仁のこといろいろ分析くださってありがとうございます。
 分析してもらって何かいい果実が見つかればいいのですけれどね・・・無漏路の言葉遊びに惚けてしまっていますので、有漏路の凡愚老仁は四畳半菜園のごてづくりを楽しんでいます。四畳半しかないのに、今年は種まきが遅れて、やっと大根が本葉を出しはじめてくれました。ブロッコリー三本。これも遅れて、もう三月にしか成らないそうです。


 脱落の地に芽を開く草の花   仁


 吾を殺さぬ言葉見つけん


 言葉遊びも終わりに近づいているのでしょうか・・・
 ついこの間、朝カルの邪馬台国の講座で、白川静さんの『漢字』に巡り会いました。漢字の起源の解明です。ちょっと今はまっています。言葉遊びの原点なのかもしれません。もちろん凡愚老仁は漢字の科学も真実も必要ではないんです。ただ知る楽しみと、遊ぶ楽しみが増大して、わくわくです。言葉遊びに羽が生えそうな面白さです。

 一休さんが一段落したので、また、良寛さんに戻らなければならないのですけれど、その前に、ちょっと、一休み、ですね。もう、ここの一休みで、永久になってしまうのかもしれませんが。「久」という字は、死体が横たわっている象形だそうです。古代人にとって、生きていることは移ろうこと、状況のままに変化することなのでしょう。死はその変化がなくなることです。不変、ずっとそのまんまです。
 「見つけた」
 「何を」
 「永遠を」
 ランボーは、海に、永遠を見つけました。
 近代人の「永遠」は深遠なものになりましたけれど、古代人の「永遠」は日常的な死だったのです。生きること自体が容易なことではなかったんですね。一日一日の生が奇跡だったのかもしれませんね。生きることは殺されないことだったんですね・・・
 弱い人間が生き残るためには知恵をつけていくことしかなかったのです。
 その知恵のはじまりが手を使う道具の発明でしょうけれど、その知恵は飛躍して「神」を発明したんだそうです。「神」は目に見えませんので、「言葉」になったのでした。
 神の発明は言葉の発明です。
 そして「字」が発明されていきます。


 一休さんを遊んだら、達磨さんから、釈迦さんの時代にまで遡りましたけれど、漢字のはじまりを遊んだら石器時代人までくらい遡るのでしょうね・・・
 凡愚老仁の言葉遊びは『老子』からはじまったのでしたけれど、一休さん、良寛さんの後は賢治さんを遊ぶのですけれど、やっぱり最後は老子さんに落ち着くのでしょうね。
 良寛さんに巡り会って7年ですけれど、まだ本も読み終わっていないので、賢治さんを読み終わるのは早くても10年後なのでしょうね・・・
 せめて、10年は生き延びたいと、最近、つくづく、念じています。
 欲が出てきたのでしょうね・・・


 これも言葉遊びですから、実際は、もう、十分に楽しく遊んで生きてきましたから、いつ永遠になってもいいのですけれどね。
 一休さんは森女さんとの巡り愛の恍惚がお気に入りで、「死にたくないよ」といいましたけれど、凡愚老仁は最近、連れ添いさんが作ってくれる三度三度のご飯が美味しくて、「死にたくないよ」といっています。


 明日待つ今日を遊ばん草の露   仁


 明日の出会いを賢治に創る


 又無駄事のお喋りさせてもらいました。
 ご寛容くださいね。





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 優游575交心w12k120301『 愚図のまま雪の畦道を歩く 』 へどうぞ!!! ★★★



★★★ 言葉あそび交心w12m112201『 寝ても夢醒めても夢よ冬の月 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


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