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言葉あそび575交心w12k121402『 死の灰のこの世を異界に変えゆくか 』

★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★





★★★ 言葉あそび575交心w12k121001『 雪落ちて森のゆらぎに異界の気 』 への交心です。 ★★★






★ 言葉あそび575交心w12k121401

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木枯らしや牧場に牛の影もなし

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 雲人さん、いつも交心ありがとうございます。
 お返し交心が遅くなってしまいました。ご寛容ください。


 「仰天は、アア、カミサマ、と天を仰ぐんです」と天を仰ぐことを仰天と呼びましたけれど、アア、カミサマ、は祈りの姿ですね。カミサマは天にいると殷の時代にはすでにそう信じられていたそうです。
 ひどく吃驚した時に仰天というのですけれど、「驚く」という字は「敬」と「馬」でできています。敬は尊敬の敬ですから、「馬」が「敬う」ことを驚くというんですね。
 馬は従順な家畜で人間に使役されてきました。犬と同じくらい飼い慣らされてきています。酷使しますから鞭で脅していうことをきかせるんです。鞭で酷使されてきたから鞭が怖いんですね。いつもびくびくしています。
 <馬はとくに驚きやすい動物であるから、イマシメられて(注意されて)驚く馬が驚で、「おどろく」という意味を示した>   『字解』p143
 馬はわたしたち民によく似ていますね。
 ニンジンを目の前にぶら下げられると余所目をしないで働くんです。

 「私」という字も「禾のぎへん」=稲作のために「ム部」=鋤を持って耕作させられる農奴を意味していました。王=神に使役されてきたんです。
 「民」は人間らしく生きたいという知恵を持たないように針で目を潰した形です。「見ざる聞かざる言わざる」の状態で酷使するんです。
 鞭が怖いのは馬だけではありませんね・・・
 今も事情はそう変わっていませんね。アメとムチが妖怪のごとく罷り通っています。・・・


 木枯らしや牧場に牛の影もなし   仁


 獣も人も塒に籠もる


 塒は唯一労役から解放された安楽の一休みです。
 でも、知恵を奪われていますから、安楽を貪るだけなのでしょうね・・・
 知恵を持ち合わせていないと遊ぶ力も湧いては来ないようです。
 凡愚老仁は、人間が持てるようになった最高の宝物は遊ぶ力、遊ぶ知恵だと思っているのですけれどね・・・


 尊敬の「敬」はどんな語源を持つのでしょうか?
 「敬」は「ケイ」と「ボク」を組み合わせたもので、甲骨文字は「羊の頭をした人が跪いているいる形」だそうです。羊の頭をした人というのは<牧畜をするチベット系のキョウ人で、犠牲に使うために捕らえられていた。ボクは小枝を持って打つの意味。敬は犠牲としたキョウ(羊の下に「儿部」にんにょう、ひとあし)人の前に神への祈りの文である祝詞を入れる器の口サイを置き、キョウ人を後ろから殴ウって神意を責めイマシ(人偏に敬)めるの意味でとなる。敬は何かを神に祈る呪儀であるから、そのときの神にうやうやしく仕える心を「うやまう」という>(『字解』p167)と解説してあります。

 驚きですけれど、もう既にこの頃からチベット系の人たちは侵略され、奴隷化させられていたんですね。人間の歴史は征服の歴史として、文字化された歴史にははじまっていくんです。
 ウィキペディアによると<中華思想(ちゅうかしそう)は正式名を華夷秩序(かいちつじょ)と言い、黄河の中流域(中原)で発生した極端な選民思想である。即ち、漢民族の内で「人間」扱いされるのは君主のみであり、臣下は「家畜」とまでは行かずとも「奴隷」を自称し、民衆は「民草」の表現通り「雑草」として扱われる。また非漢民族は「禽獣」と「虫けら」扱いとされ、征伐や民族浄化の対象となっている。>といいます。殷の時代にも中夏思想として同じような考えがはじまっていたのですね。
 ルネサンスのヒューマニズムの思想が誕生するまで絶対王政とカトリック教会がヨーロッパを支配します。市民革命にはじまる人権の歴史も帝国主義戦争で中断させられ、その帝国主義戦争の列強の世界戦略はなお強化されて米国覇権主義と復活中華思想の激越な冷戦状態に突入しているようです。軍需産業を支配する闇帝国が崩壊されない限り戦争を回避する道筋は戦争放棄の<平和憲法>の樹立と連帯しかないでしょう。
 個人的には自然法に則り、ガンジーさんの非暴力・不服従とチャップリンさんの反戦のヒューマニズムを道標に主体的な生を貫ける人間になっていくよう念じたいと念います。


 死の灰のこの世を異界に変えゆくか   仁


 銭という魔の跋扈する世に


 生贄のキョウ人を敬いの代行として作られた「敬い」の原義は、今でも、権力用語として使われているので、その異図を読み解ける能力と権力機構に騙されない主体性を培わなければならないことを開示してくれます。
 一休さんの頓知は権力言語に抗って生きる人間の知恵のことでしょうね・・・
 異界がこの世に現れていますけれど、この世はカミの現れる世だと凡愚老仁は念じるようになりました。


 本当に敬うべきは、命在るものを育み、守る天地自然の恵みと調和の大いなる力なのでしょう。その不思議な大いなる力を古代の人も、今の人も、等しく、カミと感じて、畏れ敬いの心を抱いて、祈りもし、請願もしてきたのでしょう。
 カミは自然の一つ一つであり、天地宇宙の総体であり、命と添い合って存在する何か、命の大本であるような何か大いなる力なのでしょう。


 降る雪や天に日月地に命   仁


 祈る心にカミ現れる


 交心の言葉によって、白川漢字の『字解』を読んで、言葉の始まりの好奇心を満たさせてもらっています。その上また一茶さんのカミに巡り遇いましたので、命令の神ではない、寄り添いのカミさんを、凡庸のちっご平野に探す楽しみも見つけました。
 お喋りがすぎましたけれど、雲人さんの寛容の心に寄りかからせてくださいね。

 ありがとうございます。



※ キョウ人=キョウは「羊部」の下に「儿部」(にんにょう、ひとあし)」の形。羊の頭をした人で、牧畜をするチベット系のキョウ人。犠牲に使うために捕らえられていた。

 ※ イマシめる=「人部」(にんべん)に「敬」。意味は戒める、縛める、誡める、警めるに同じ。「攴ボク部」(ぼくづくり、ぼくにょう)や「戈ホコ部」(ほこ、ほこづくり)で脅され、従順になる。





★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 言葉あそび575交心w12k121303『 凍星やひとつひとつの星に薔薇 』 へどうぞ!!! ★★★



★★★ 優游575交心w12k120708『 相見んと念えど雪の深さかな 』 へどうぞ!!! ★★★
 



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言葉あそび575交心w12k120901『 良寛を真似べぬ雪の重さかな 』


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★★★ フォト575『 木枯らしの果てに優遊北斗星 』 への交心です。 ★★★






★ 言葉あそび575交心w12k120901

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良寛を真似べぬ雪の重さかな

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 雲人さん、いつも交心ありがとうございます。
 そうですか、北陸路も初めての積雪でしたか。
 ちょっと意外でした。もっと早いのかと思っていました、
 奈良も積雪があったそうで、紅葉と雪の光景を見せてもらいました。いつもより早い雪だそうです。
 今法事から帰ってきたところですけれど、福岡は降っていないけれど、太宰府辺りは積雪があっているそうです。寒い冬になりそうですね。


 良寛を真似べぬ雪の重さかな   仁


 雪国の子と良寛居りぬ


 女生く雪の重さをつき抜けて   仁


 凍えるからだはだかで抱きぬ


 死に行く良寛さんを裸で抱いて暖める貞心尼さんのイメージと雪に埋まりながら遊ぶ子どもたちの傍に甦る良寛さんの笑顔のイメージを、このごろさまざまなバージョンで、追ってみますけれど、雪の重さを知らぬ凡愚老仁にはその像を結ばせることはできないようです。
 つくづく平穏の楽土からは平穏の思想しか生まれないと知りました。
 酷寒の冬には酷寒の冬を超克する思想が生まれ育ち、酷寒の冬の恩寵が如来する。
 良寛さんは酷寒の冬を超克した如来さんでしょう。そして貞心尼さんはその超克如来さんに共振する恩寵如来でしょうか・・・


 凡愚老仁の言葉遊びの彼方の幻想ですけれど、ちっご平穏楽土にいては、雪の重さも人間の慟哭も知らぬままですから、言葉の空回りに終わってしまいます。


 木枯らしに回せよ回せ風車   仁


 からかからから落葉も舞いぬ


 ちっご楽土の閑仁のおしゃべりさせてくださってありがとうございます。
 笑って読み捨ててくださいね。





★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 優游575交心w12k120708『 相見んと念えど雪の深さかな 』 へどうぞ!!! ★★★
 


★★★ 優游575交心w12m112902『 小春日の心地明日を忘れけり 』 へどうぞ!!! ★★★
 



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言葉あそび575交心w12k120401『 季は巡り葉は枯れ鳥は渡りけり 』


★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★









 
季は巡り葉は枯れ鳥は渡りけり   仁


 老は今ここ遊ぶに若かず




 とはいえ、老いてはその遊びも不自由になり、行動範囲も限られてきます。
 けれど有り余るものもあるんです。閑と妄想です。
 妄想惚けは至福の楽園なのかもしれませんけれど、遊ぶ「わたし」もいなくなるのでしょうから、できればわたしが「私」を見ることもでき、楽しむこともできる主人公のままで妄想惚けも遊べるようになりたいし、閑も遊べるようになりたいものと念じています。

 良寛さん真似遊びや真似一休さん遊びを楽しんできましたけれど、その言葉あそびは、いつでも、どこでも、無一物でも、できるんです。遊び心さえあればいいんです。
 よ~らちっご凡愚老仁には妙適の遊びです。


 とはいっても、子どもが砂遊びをするように、作っては壊し、作っては消える、虚空の花火のようなものですから、どんなに熱中しても、ただ、熱中するだけの自足です。
 シンプルな反復です。
 春は去り、巡りてまた、春になる。
 歳歳年年春同じからず。
 反復のわたしの今ここも年年歳歳同じからずで、しみじみ楽しいんです。
 子どもの砂遊びが子どもの物語世界の創造であるように、凡愚老仁の言葉遊びも凡愚老仁の物語世界の創造なんです。
 子どもの創りだす物語世界は子どものカミの世界でしょうか・・・子どもが創りだす砂山は子どものカミの世界のオリンポスの山なのでしょう。

 子どもは砂山遊びに熱中して、自らのカミを遊んでいるのでしょうね。
 子どもは砂山遊びに熱中して、本来の面目坊を生きているのでしょうね・・・


 凡愚老仁は、言葉あそびに熱中して、凡愚老仁の本来の面目坊を生きている真似をしたいと念じているのですけれどね・・・


 鳥獣もカミ遊びする百舌の贄   仁


 鳥も獣もまたカミならめ





■■■★ 言葉あそび575交心w12m110301

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脱落の地に芽を開く草の花

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 こんばんは、葉呼さん、いつも交心ありがとうございます。
 いいお天気がつづいていますね。
 でも風が強くて、佐賀のバルーンフェスタは昨日も中止したようです。天気がいい分冷え込みも強くなりますね。九州でも晩は冷え込みます。今年は紅葉もいいような予報です。

 いつも鄙の老仁のこといろいろ分析くださってありがとうございます。
 分析してもらって何かいい果実が見つかればいいのですけれどね・・・無漏路の言葉遊びに惚けてしまっていますので、有漏路の凡愚老仁は四畳半菜園のごてづくりを楽しんでいます。四畳半しかないのに、今年は種まきが遅れて、やっと大根が本葉を出しはじめてくれました。ブロッコリー三本。これも遅れて、もう三月にしか成らないそうです。


 脱落の地に芽を開く草の花   仁


 吾を殺さぬ言葉見つけん


 言葉遊びも終わりに近づいているのでしょうか・・・
 ついこの間、朝カルの邪馬台国の講座で、白川静さんの『漢字』に巡り会いました。漢字の起源の解明です。ちょっと今はまっています。言葉遊びの原点なのかもしれません。もちろん凡愚老仁は漢字の科学も真実も必要ではないんです。ただ知る楽しみと、遊ぶ楽しみが増大して、わくわくです。言葉遊びに羽が生えそうな面白さです。

 一休さんが一段落したので、また、良寛さんに戻らなければならないのですけれど、その前に、ちょっと、一休み、ですね。もう、ここの一休みで、永久になってしまうのかもしれませんが。「久」という字は、死体が横たわっている象形だそうです。古代人にとって、生きていることは移ろうこと、状況のままに変化することなのでしょう。死はその変化がなくなることです。不変、ずっとそのまんまです。
 「見つけた」
 「何を」
 「永遠を」
 ランボーは、海に、永遠を見つけました。
 近代人の「永遠」は深遠なものになりましたけれど、古代人の「永遠」は日常的な死だったのです。生きること自体が容易なことではなかったんですね。一日一日の生が奇跡だったのかもしれませんね。生きることは殺されないことだったんですね・・・
 弱い人間が生き残るためには知恵をつけていくことしかなかったのです。
 その知恵のはじまりが手を使う道具の発明でしょうけれど、その知恵は飛躍して「神」を発明したんだそうです。「神」は目に見えませんので、「言葉」になったのでした。
 神の発明は言葉の発明です。
 そして「字」が発明されていきます。


 一休さんを遊んだら、達磨さんから、釈迦さんの時代にまで遡りましたけれど、漢字のはじまりを遊んだら石器時代人までくらい遡るのでしょうね・・・
 凡愚老仁の言葉遊びは『老子』からはじまったのでしたけれど、一休さん、良寛さんの後は賢治さんを遊ぶのですけれど、やっぱり最後は老子さんに落ち着くのでしょうね。
 良寛さんに巡り会って7年ですけれど、まだ本も読み終わっていないので、賢治さんを読み終わるのは早くても10年後なのでしょうね・・・
 せめて、10年は生き延びたいと、最近、つくづく、念じています。
 欲が出てきたのでしょうね・・・


 これも言葉遊びですから、実際は、もう、十分に楽しく遊んで生きてきましたから、いつ永遠になってもいいのですけれどね。
 一休さんは森女さんとの巡り愛の恍惚がお気に入りで、「死にたくないよ」といいましたけれど、凡愚老仁は最近、連れ添いさんが作ってくれる三度三度のご飯が美味しくて、「死にたくないよ」といっています。


 明日待つ今日を遊ばん草の露   仁


 明日の出会いを賢治に創る


 又無駄事のお喋りさせてもらいました。
 ご寛容くださいね。





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 優游575交心w12k120301『 愚図のまま雪の畦道を歩く 』 へどうぞ!!! ★★★



★★★ 言葉あそび交心w12m112201『 寝ても夢醒めても夢よ冬の月 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


言葉あそび575交心w12m112401『 愛別も常の習いぞ散る紅葉 』

★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★





★★★ つけ句あそび575交心w12m112102『 任天真風なき日にも散る銀杏 』 への交心です。 ★★★






言葉あそび575交心w12m112401

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愛別も常の習いぞ散る紅葉

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 雲人さん、いつもつけ句と交心をありがとうございます。
 そうなんですね、白川静さんは福井県出身の人だったんですね。
 そうですか。白川漢字学が小中学校にまで普及しているのですか。
 素晴らしい実践ですね。
 言葉は生きる力ですから、子どもたちが豊かに言葉を生きることができれば、夢観る力も創造力も大きく飛躍するでしょうね。
 子どもたちの未来が楽しみになります。


 雲人さんの遊行道は子どもたちに向き合う人たちへの道標です。
 現実の壁を切り拓く光です。
 「 自未得度先度他 」の実践に敬服します。
 凡愚老仁の言葉遊びの児戯が恥ずかしくなります・・・



 それでも凡愚老仁の唯一の楽しみですから、言葉あそびさせてくださいね。
 ご寛容ありがとうございます。


> かくして無常をしろしめるかな   雲人


 愛別も常の習いぞ散る紅葉   仁


 虚なる心に言の葉翔る



 愛別離苦も八苦の一つです。無常なればこの愛別も移り変わって、また新しくなるのでしょう。「愛」は「立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を愛といい、<いつくしむ>の意味となる。」愛執は執着という欲でしょうか、仏教はそんな愛を苦の大本にしています。
 「いつくしむ=愛しむ」は愛して拘らぬ心と考えてもいいのでしょうか・・・
 無常を知れば、ただ愛して、拘らぬ心になれそうな気がしますけれどね・・・



> 保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽而新成。   。。。『老子』第十五章


 仁訳 このTAOの流れに載って生きている人は必要以上に満たされることを欲しないものさ。ただただ欲を満たすことを望まず、あるがまんまを大切にするんだよ。極端なことも限定することも好まないから、古い所にも、貧しい所にも居ることができるし、もっと新しい所へ行くことも、もっと心豊かに活き活き生きることもできるのさ。


 生まれる時は一人だった。死ぬ時も一人です。虚無から生まれ、世界の中に生き、虚無に死ぬ。それが常です。




 > 根に帰るを静という。是れを復命と謂う。復命を常という。    。。。『老子』第16章



 存在するものは一時も静止していない。移り変わること、生々流転を、無常というのでしょうね。これはまた命の実存でもあるんです。老子さんは命に復ることを「常」といいました。命に於いては「常」も「無常」も同じことなんですね。


 言葉あそびをしていると「分別」がなくなってしまいます。
「夢中説夢」という言葉が道元さんにあるそうですけれど、現実も、夢の中で夢の話をすることと同じなんだよ、といっているそうです。その深層の意味は凡愚老仁には分かりませんけれど、言葉あそびは夢の中で夢を見ているようなものだから、ただただ楽しいばかりです。夢の中で死ぬように、楽しみながら死んでいけるとHappyですね・・・




 草枯れて虫鳴き吾は夢を見る   仁


 命に復り今ここ歓喜


 懲りない言葉あそびさせてもらいました。
 ご寛容ありがとうございます。





★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



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