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言葉あそび575交心v13z011707『 心では髯ぼうぼうの枯木たり 』

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





★ 言葉あそび575交心v13z011707

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心では髯ぼうぼうの枯木たり

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 とうとう古稀を迎えてしまいました。
 昨日は水曜会で、高校の同期会のひとりがスピーカーだったので、筑後川沿い住人で作った「みなわ会」の人たちが参加していました。凡愚老仁も筑後川沿いの住人ですけれど、「皆和会」に参加していません。落ち零れ凡愚老仁でしたので、同窓会にも参加したことなかったのですけれど、ひょんなことで水曜会の主催者の賀人さんの縁ができて、はじめて同窓会に参加したり、同期会にも顔を出したりするようになりました。はじめての大人の人たちとのおつき合いです。
 遂に大人になれないまんまの未成熟老仁、異邦凡愚老仁にとっては、青天の霹靂とでもいえそうな想定外のことが起こったのでした。
 老の成り行きなのかもしれませんけれど・・・

 昨日もその皆和会の懇親会に参加してきました。「みな若い」とネーミングしなければならないくらい老を自覚して、余生を和して寄り集まろうという、遊行期に相応しい集いのようです。筑後川の水のように拘りなくつながっていこうという「水縄会」が表看板だそうです。凡愚老仁は、下戸なのでお酒無しのつきあいですから、みんなに気を遣わせるので、遠慮もあるのですけれど、それなりに楽しんでおつき合いできているような気がしています。隠れ隠遁の術が必要なくなってしまうのかもしれません・・・
 遊行期は空即是色ですから、隠れる必要もないのでしょうね。
 水のように、風のように、己を光として、自遊に、生きましょう。


 心では髯ぼうぼうの枯木たり   仁


 舟遊びせん雲にも乗らん



 「老」は、会意文字で、「△おいがしら(老の匕を取った部分)」と「匕カ」とを組み合わせた形です。「△おいがしら」は長髪の人を横から見た形で、長髪が垂れている形をしているのだそうです。
 「匕カ」は人を逆さまにした形で、横たわっている死者の姿を象ったものだそうです。「老」の場合は、死に近いという意味を持たせて、長髪の年老いた人を「老」といい、「おいる、おいぼれる、としよる」の意味に用いています。

 「△おいがしら」を部首に持つ字に「考」と「孝」があります。
 「孝」は会意文字で、「△おいがしら」と「子」を組み合わせた形です。子どもが老人によく仕えるという意味になり、「親思い、孝行」の意味になりました。
 「考」は形声文字で、元の字は「孝」にとても似ています。「子」が「□コウ(巧の右の部)」になっています。
 <「亡父なきちち」が「考」のもとの意味である。亡母ナキハハは「○女+比(ひ)」といい、非常に落胆することを「考○ヒを喪う如し」という。「かんがえる、くらべる、しらべる」という意味は校と音が同じで、通用の意味である>   。。。『字解』p208
 に白川静さんの解説がありますが、ちょっとわかりにくいですね。


☆☆☆ 漢字物語0132『 「孝」 子どもが老人によく仕える 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
 



 琥珀さんはまだ老ではないのですけれど、若い時からとても老成しているという感じでした。そして少し風狂な所もあって、薔薇の花が好きで、好きだから薔薇さんを食べてしまうほどなんです。
 凡愚老仁に似て、木偶の坊なのかもしれません・・・


 吾に似て雪と遊ばぬ木偶なりや   仁


 若きは雪を飛び跳ね遊ぶ





☆☆☆ 雪呼さんの『 雪が降る~ 』 への交心です。 ☆☆☆
 





★ 優游575交心v13z011705

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雪の道きららとぼとぼとも探し

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 雪の道きららとぼとぼとも探し   仁


 納まる琥珀老に非ずも




 雪中ご自愛。

 ほんとうに凄い雪ですね。
 一休みのカフェも遠くなりますか・・・


 > 今よりはいくつ寝ればか春は来む月日よみつつ待たぬ日はなし   良寛


 かくまでも待てど待てども来ぬ春もやがては心躍らせに来る   仁





※     写真は、 雪呼さんより、  お借りしています。



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 徒然575交心v13z011701『 月下香妖しき品に傾きぬ 』 へどうぞ!!! ★★★



★★★ 言葉あそび575交心v13z011403『 笑うごと花咲くごとく散りたかり 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



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言葉あそび575交心v13z011403『 笑うごと花咲くごとく散りたかり 』

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





★ 言葉あそび575交心v13z011403

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笑うごと花咲くごとく散りたかり

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 「咲い」を「わらい」と読み、「笑い」のことです。
 国語では、花が開く意味で「さく」と読むけれど、古くは、花は開くといい、また花披ヒラくといっていたのだそうですけれど、「咲」を花「さく」の意味に使うようになったのは、花の開く様子を人の口元のほころびる様子にたとえたのだろうと、と白川静さんは『字解』で、読み解いています。

 <「咲」 形声文字。元の字は「○(口と八とその下に天)」に作り、音符は「△(八とその下に天)しょう」。「△しょう」は人が両手をあげている形で、笑い興ずる姿である。咲くは古い用例はなく、元の字は笑で、「わらう」の意味であった。笑は巫女が両手をあげ、身をくねらせて舞いおどる形で、象形の字。「若」が両手をあげて舞い。神がかりの状態にある巫女の形であるのとにている。神意をやわらげるために、神を楽しませる動作を笑という。>   。。。『字解』p336


 天照大神さんは怒って天の岩戸に隠れますが、神々が唄い踊って楽しそうに笑っている声を聞き、何事が起きているのか知りたくなって岩戸を少し開けて覗き見をしました。笑いは天照さんの怒りをも和らげたんですね。
 人間に笑いがあることは和の心があることで、笑いは人間の根源的な徳性であり、命の根源的な開花なのでしょうね・・・


 笑うごと花咲くごとく散りたかり   仁


 咲いの菩薩寄り添わんかな


 命に帰れば、自ずから笑って生きることができる。
 禅で悟ったら、呵々大笑できるんです。
 拈華微笑。微笑んで共振した迦葉さんに、お釈迦さんは自分が知り得た知恵の継承を認めました。
 一休さんは寄り添った森女さんの膝で微笑んで坐死できたのでしょうね。良寛さんも貞心尼さんに抱かれて坐死できたようです。お釈迦さんは動物たちにまで囲まれて涅槃に入りました。実際は下痢の苦痛の中で死んでいったのでしょうけれど、内観時空では微笑み愛ながら死んでいけるのでしょうね・・・






☆☆☆ 葉呼さんの『 人間ってなんだろう??? 』 への交心です。 ☆☆☆
 





★ 徒然575交心v13z011402

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花もまた苦もまた生と受用せん

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 葉呼さん、真摯な交心ありがとうございます。
 葉呼さんの真摯なお心に対峙できる真摯なスタンスも知識も持ち合わせておりませんけれど、交心をもらえてHappyです。
 凡愚老仁風には、長い間の習性で、言葉あそびの時空での交心しかできませんけれど、交心をご寛容いただけると、もっとHappyに交心時空を楽しませてもらえますけれど・・・


 > “ああ・・。人間ってこんな生き物なんだぁ~”
 それから肩こりが軽くなってきたのでした・・   葉呼


 花さまざま人もさまざま薄氷   仁


 覚悟する死は覚悟する生


 
 虚弱児童だった凡愚老仁は子ども心に20才まで生きていけないだろうと思っていましたし、生き延びた青年時代は、人切り伊蔵のように時代の激流に踏みつぶされて死んでいくだろうと思ってきましたし、37才を越えてまだ生き残って、青年達の今ここと向き合って一緒に生きていく内に、還暦を過ぎてしまって、良寛さんに出遭い、真似良寛さんを遊び、一休さんに出会い、真似一休さんを遊び、その間に、子規さんの『病床日記』を知り、兼好さんの「存命の喜び」を知り、今、好奇心全開で、知る楽しみ、学ぶ喜びに耽っている遅まき未成熟老仁です。
 ・・・と巡り合い、・・・を知り、といっても深い理解があるわけではなく、ちっごという鄙の小さな世界しか生きたことのない凡愚老仁の独り善がりの言葉あそびです。良寛さんも一休さんもまだ読了もしていない有り様です。拾い読みの、未消化な言葉の羅列遊びを楽しませてもらっています。


 “ああ・・。人間ってこんな風に生きていてもいい生き物なんだぁ~”
 そう思えるようになって、軽く、軽く、生きていく楽しみを覚えました。
 ひょっとすれば、軽く、軽く、死んでいけるのかもしれません。


 > 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな   子規


 できれば、死の間際に、子規さんのようにでなくてもいいですから、凡愚老仁風にそのまんま575で交心であそんできたそのまんま575を詠んで死んでいけるようになりたいと願望しています。
 実際は、痛いよ、痛いよ、殺してくれと絶叫しているかもしれませんし、まだ死にたくないよと泣きついているのかもしれませんし、アルツハイマーで何も分からないまま死んでいくのかもしれませんし、・・・現実にはどんな現実になろうとも、せめて心の一部には、明晰な意識を保持していて、その心がそのまんま575で交心あそびを遊んでくれていることを念じています。
 都々逸サロンで巡り遇った都々逸の乃舞師匠が、実際に、死の間際まで都々逸を詠んで、サロンにそれを発信しつづけて、往かれました。もうお復りにはなりませんが、乃舞師匠の心の中では都々逸サロンが浄土だったのだろうと念っています。
 そう念って、凡愚老仁も、そのまんま575で交心の言葉あそびの世界が凡愚老仁の今ここ浄土だと念っているんです。
 今ここが浄土だから、死後の世界はないんです。今ここが永遠です。


 花もまた苦もまた生と受用せん   仁


 咲ワラいたけれど笑えぬ仏



 凡愚老仁の独り言呟きとご笑殺ください。





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 言葉あそび575交心v13z010802『 甦る時を遊ばん初景色 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★★★ 徒然575交心v13z010402『 霜の草踏めば苦さの在りし日々 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


言葉あそび575交心v13z010404『 麦を踏む苦き若さの日々在りぬ 』

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★ 言葉あそび575交心v13z010404

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麦を踏む苦き若さの日々在りぬ

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 青春というのは昨日を踏みにじりたくなる衝動の繰り返しかもしれませんね・・・
 希望も夢も大きいだけに、己の卑小さが口惜しくて消え入る思いに苛まれるのでしょう。
 多かれ少なかれ青春は挫折の主人公の追憶に占有されています。


 踏みにじる憶い切なし野の菫   仁


 きみの光りの目を眩まする


 「踏」は「足偏」と「沓」の形声文字で、音符は「沓とう」です。
 「沓」は「水」と「曰えつ」とを組み合わせた形。「曰えつ」は祝詞を入れる「口サイ」の中に「一」神の言葉が入っています。「沓」はその「口サイ」に水をかけ、口サイを汚して、祈りの効力をなくす意味です。「踏」はその「沓」を足で踏みつけて口サイの効き目をさらに踏み穢すことを意味します。その意味は「けがす」のほかに「かさなる」「むさぼる」にもなります。

 ついでながら、「習」にも「曰えつ」があり、その「曰えつ」を「羽」で撫でています。羽で摺って口サイの効力を高めるんです。その摺る行為を繰り返すことが「習」です。同じ行為を習(かさねる)ので、「習慣」「学習」の意味が生まれてきます。

 「踏」は踏みにじって、穢すことですというマイナスイメージですけれど、人々の願い、祈りは「口サイ」の中にあるわけですから、口サイそのものが踏みにじられるわけではありません。やはり邪悪なものが混じり込んだ口サイの効き目を水をかけて消すのでしょう。
 白川さんによると、<踏むことは古くは地震を鎮めるためのまじないの行為で、中国には足で踏む種々の民俗があった>そうです。   。。。『字解』p525


☆☆☆ 漢字物語0114『 「減」 水をかけ祈りの効果減らす 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
 


 麦踏みも古代からあったのですね。「麦」の字にも「足」が入っていて麦踏みの象形になっているんです。カミさんの知恵を分かち合って協働で生きてきたんですね。「学習」の積み重ねが文化です。


 麦を踏む苦き若さの日々在りぬ   仁


 老の妙適微酔い佳境





★ 徒然575交心v13z010402

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霜の草踏めば苦さの在りし日々

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 > 036傷ついた右往左往の蹠を蚊帳吊草を踏みて労わる   秋人


 労りのこころにじみしきみが指思いつ踏みぬ霜の畦草   仁


 霜の草踏めば苦さの在りし日々   仁


 されどしみじみ追憶の糧



 想違いご寛容ください。





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 優遊575交心w12k120801『 雪国を思えど雪に躍りたる 』  へどうぞ!!! ★★★
 


★★★ 優游575交心w12k120708『 相見んと念えど雪の深さかな 』 へどうぞ!!! ★★★
 


★★★ 言葉あそび575交心v13z010102『 招福の詞念じて結び松  』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


言葉あそび575交心v13z010102『 招福の詞念じて結び松  』


★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★





★ 言葉あそび575交心v13z010201

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踊る手にモロカミ降りよ松飾り

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 結び松は、有馬皇子の悲劇の歌枕ですけれど、門松のめでたさと結ぶの漢字の組み合わせを遊んでみました。
 正月松の内は人の寄る所はどこでも門松が飾られています。今年も三社参りは隣の街の風浪神社に行きましたけれど、大きな門松に迎えられます。
 カミさんは門松に降りてくるのですね・・・
門松はカミさんが降りてくる目標だったり、降りてきたカミさんが一休みする依代であったり、安息する所でした。カミさんにゆっくり寛いで楽しんでもらうようにお酒や果物、土地の産物で歓待したのでしょう。カミさんと親しくなって、喜ばせて、また来てくれるよう約束もしたのでしょうね。

 有馬皇子の頃もそう事情は変わらないでしょう。カミさんが降りてくる松に願をかけて、その願が守られるように松の枝に確りと結んだのでしょうね。
 「吉」は「士」と「口サイ」でできています。「士」は戦士が身分の象徴として持つ小さな鉞の刃を憧憬する字です。願をかける祝詞を入れる口サイの上に鉞を置いて祝詞をしっかり守るんです。願が守られると幸せになりますから「吉」は「よい、いいことがある」ことを意味するんです。
 「結」はそのいいことをもたらしてくれる「吉」をさらに「糸」で結んで、より確かなものにすることです。結ぶことに大きな念が込められているんですね。
 万葉の人たちは離れて暮らす時、相手が浮気をしないように下紐を結んで念をかけ、貞操を守ることを誓い合いました。


 踊る手にモロカミ降りよ松飾り   仁


 竹のごとくに吾も笑わん





★★★ つけ句あそび交心w12m110202『 紐解いてきみ待つ秋の灯しかな 』 へどうぞ!!! ★★★
 





★ 言葉あそび575交心v13z010102

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招福の詞念じて結び松

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 > 有りがたし福まつ門の初みかげ   松束


 神なる巳の女に憑きし   仁


 松束さん、ご丁寧な賀詞をありがとうございます。
 寿ぎ語満載の宝船をもらって今年もHappyに暮らしていけるようです。
 蛇は弁財天さんのお使いなんですね。子どもの頃抜け殻の頭を拾ってきて財布に入れていたことを想い出します。高校の時二日市駅の裏手の方面に住んでいた姉の家を夕方訪ねての帰りに、たんぼ道の草むらから招きの声が聞こえました。夕暮れでしたけれど、草むらに小さな折り紙上のものがありました。何気に拾って開いたのですけれど、なんと、小さく折りたたんだ一万円札だったんです。お金がなくなると姉に無心に行っていたのですけれど、無心したお金よりも大金です。ちょっと怖くなりましたけれど蛇の神さんの恵みだとネコババして、恵みに感謝し、その記念に『広辞林』を買いました。今でも机にあって愛用しています。凡愚老仁の言葉遊びの始まりでもあったのです。
 財布の中の蛇の頭の抜け殻神は凡愚老仁の弁天さんだったのでしょうね・・・


 招福の詞念じて結び松   仁


 束に重ねて永久に降らせん


 つい最近白川静さんの『常用字解』に巡り遇いました。
 漢字のはじまりの面白さにはまっています。人生のゴール間際になって漢字のはじまりに巡り遇い、好奇心全開して、言葉あそびも振り出しに戻ってしまいました。
 死にとうない。
 せめてあと十年は生き存えて、たっぷり、言葉あそびを堪能したいと欲が出てきています。欲が出ると逆目が出てしまうものなんですけれどね・・・
 何度も何度も脱皮して命を更新し、長寿を全うする巳の神さんに帰依させてもらおうかと念ってもいます。『字解』はアニミズムの復権の門松でもあるんだと思っています。


 白川静さんは甲骨文字を通して、祖霊神の占有する漢字の発明を解明してくれましたけれど、その祖霊神の依拠する神さんは、やはり、自然神なんですね。
 蛇もその自然神の一つですから、祖霊神の祭祀の、「祀」には、ちゃんと「巳」が居るんです。「巳」の甲骨文字は、大きな頭をもたげた蛇の象形なんです。「示偏」は祭祀の祭詞を入れる「口サイ祭器」を置く祭壇なんです。その祭壇の前に巳へびがいるんです。
 ですから古代人の祭詞の大本は雨風や雷など自然現象や生き物や事物をみんな神として畏敬していたのでしょうね。アニミズムは古代人の知恵であり、科学であったろうと想像します。命の大本の天地の不思議な力、そして偉大なエネルギーを人々は神として畏敬したのでしょう。その心は現代人もまた同じだと思うのですけれど、現実にはその心を忘れて自然の流れに逆行するような生き方をはじめているし、自然の体系を破壊さえし始めているのでしょう。現代の戦争はその最悪のものでしょうし、原爆、原発は半永久的な自然破壊装置でしょう。
 この自然破壊装置の価値軸をチェンジして、蛇のように新しい命として再生する知恵に、人類は回帰する世紀に入っていると思うことしきりです。


 言霊の詞宿せる冬すみれ   仁


 紫の野にカミ甦れ


 元旦早々幼稚な言葉遊びに耽らせてもらいました。
 松束さん、めでたさに免じて、ご寛容ください。


 今年もいいことにたくさん恵まれて、クラス会で、いっぱい交感できることを楽しみにしています。
 またいろいろ教えてくださいね。
 よろしくお願いします。





★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 徒然575交心v13z010109『 夕富士のめでたさについ酔い心地 』 へどうぞ!!! ★★★
 


★★★ 言葉あそび575交心w12k122104『 かまくらの一夜かぎりの祈りの灯 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★。・。・゜♪゜・。・。★


言葉あそび575交心w12k123001『 捨てるものまだきりもなし除夜の鐘 』


★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 優游575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





★ 言葉あそび575交心w12k123001

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捨てるものまだきりもなし除夜の鐘

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 また、除夜の鐘を迎えます。
 今は行く年来る年の除夜の鐘を聞きますけれど、子どもの頃は母の夜なべの姿を見ながら裏のお寺の鐘の音を聞いていました。最初の鐘の音が鳴るまでの沈黙がちょっと心地好かったのを想い出します。どうして除夜の鐘が打たれるのかわかりもしなかったのですけれど、何かが終わり、何かが始まる、その瞬間の緊張の心地よさだったのでしょうか・・・


 捨てるものまだきりもなし除夜の鐘   仁


 捨てず愛しむこころ新たに


 除夜の除は「阝こざと偏」と「余」の組み合わせです。「阝こざと偏」は神が降りてくる階段の形です。日本の神さんは呼べばどこにでも降りてくるんですね。呼ばなくてもやはりどこにでも降りてきているようです。降りてきて様子を見たり、不具合があれば直したりしてくれるんでしょうね。天も地も神の恵みに満たされているんです。
 けれど、恵みの神さんがいるだけではありません。自然は脅威です。いつどんな破壊が起こるかもしれません。今でも、怖いものは、地震雷火事親父です。親父ばかりは怖さも権威も喪ってきていますけれどね・・・

 古代より生き物は生存競争の激しい世界を生き抜いてきました。適者生存で進化しながら生き抜いてきているんです。人類もまた同じで、生き抜いてくるためには強い集団を形成する知恵が必要でした。地震雷火事の災害と他所の親父との闘争を生き抜いてこなければならなかったんです。その災害からの防御と闘争に勝ち抜く知恵を神さんに授けてもらわなければなりません。その神さんの知恵を授けてもらえる力を持ったものが親父でした。その親父連合が氏族を形成し、氏族の親父が氏族の祖神を守って神の恵みと知恵を独占する祭祀のシステムが作りだされていきました。氏族を守ってくれるのは、氏族を形成し守り育ててきた氏族の祖霊たちです。それぞれの氏族が祖霊神を崇拝し、社を建て、祭祀のシステムを統治のシステムに整備していきました。氏族の親父が人々の生殺与奪の権力を握ることになったのです。親父に逆らえば非情に殺されます。また親父も氏族の生存を守ることができなければ、祖霊神への裏切りとして失脚し、殺されもするんです。
 祖霊神は親父が支配する氏族の土地の守り神です。それぞれの氏族がそれぞれの祖霊神に守られています。自然は万物に対等平等ですけれど、氏神は他の氏族に対しては敵の神として悪霊になるんです。自分の土地を一歩出たら、悪霊の支配する危険な所なんです。天にも地にも悪霊が潜んでいます。
 「余」はその悪霊を撃退する「取っ手のついた長い針」のことで、その呪器としての針で悪霊を排撃するんです。ですから、「除」は神が降りてくる梯子の前に「余」を突き立てて、邪悪な霊がここにはいませんよという証なんです。
 邪悪な霊を取り除いたので、「のぞく」の意味になるのです。

 「余」の関連文字に「徐」がありますが、「徐」も同じです。「彳部ぎょうにんべん」は道の四つ角の左半分です。その「彳部ぎょうにんべん」つまり道路に柄の長い針を打ち立てるのですから、道路に潜んでいる邪悪な霊を排撃し、安全にこの道路を通ることができますよ、という保証をしてくれるんです。「徐」は「やすらかに」や「ゆるやかに」という意味になるのです。
 安全だけれど、ゆっくり徐行運転しましょうね・・・


☆☆☆ 漢字物語0029『 「除」 地下に潜む悪い霊を除く 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
 


 序でながら、「道」の漢字のはじまりは怖いですよ。
 どうして「首」が入っているのでしょうね・・・
 推理してみてくださいね。


 生贄のなき世はなかり水仙花   仁


 香に酔い痴るゝ楽土に果てん


☆☆☆ 『 游呼さん  数へ日 』 への交心です。 ☆☆☆
 






★ 優游575交心w12k122904

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変わり身の果ても見たかり除夜の夢

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> さよならを束ねて火種除夜の釜   游呼


 除夜の音清浄釜の火清浄   仁


 変わり身の果ても見たかり除夜の夜   仁


 今日明日今ここ彼岸も今ここ





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 徒然575交心w12k122902『 枯れし如立ち尽くしたる古木かな 』 へどうぞ!!! ★★★
 


★★★ 徒然575交心w12k122301『 ジャガイモの花と自遊を恋いし日々 』 へどうぞ!!! ★★★
 



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


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